私たちのはじまり
元々宮坂という姓は、長野と新潟県境に多かったのですが、上杉謙信公の時代に諏訪に残ったものと、上杉家に使えたものの二手に分かれたようです。宮坂家の祖先は、上杉家が越後から会津に移封され、その後主君と供に米沢に辿り着いた下級武士でした。
初代長三郎は下級武士の3男ということで、家を出て生活を立てるために神社・仏閣での緑日市・祭礼において露店で営業するテキ屋や香具師、および行商人や旅人の宿泊や営業場所の確保と世話をする庭主(世話人)をしておりました。その庭主の組合を「神農会」といい、その組織の元締めもしていたようです。
一方同時期に妻いさが、玄関先を改装し鯉料理を中心とした「煮しめ屋」、今でいう惣菜屋を始めました。過去帳によると嘉永二年(1849年)の創業です。主に川魚の惣菜を作り販売、その後仕出屋に発展し、江戸末期には本格的な店舗を構え小売も始めました。これが鯉の宮坂、現在の「みやさかやの」原点です。
皇室献上品としての実績
幕末の動乱の後、明治になってからは鯉料理を振る舞う飲食業もおこなっておりました。以来4つの戦争を乗り越えて今にある訳です。米沢には、戦前に15店を超える鯉料理屋がありましたが、現在は3店のみとなってしまいました。現存する鯉屋では、ご覧の通り一番の老舗です。戦前から詩人西条八十氏や、作家佐藤春夫氏などにもご愛顧いただきました。特に米沢市出身の秩父宮家別当であった故海軍中将今村信次郎氏の紹介で、秩父宮家、高松宮家に鯉料理が毎年届けられ、殿下もお召し上がりになられました。
また東日本大震災が発生する以前の平成22年まで、国内外から約600名のVIPを招待して行われる宮中三大儀式の一つ、天皇陛下の誕生祝賀午餐会にも当社の鯉料理が毎年納入されておりました。このように170年以上に亘り営業を続けられたのも、地元のお得意様をはじめ、当社を支えてくださいました大勢のお客様のおかげなのです。
原点である「鯉の甘煮」
今も尚、製造販売する「鯉の甘煮」。みやさかやの代表的な商品ですが、これまで多くの皆様に愛され続けてこられたのは、受け継がれてきた味や伝統製法を、愚直に守り続けてきたからこそだと思います。米沢の清冽な地下水でしっかりと泥抜きし、餌止めを行う事。切り置きせずに、直前に締めて調理する事。余計な調味料を加えない事。一鍋一鍋を職人が付きっ切りで火加減をみて仕上げる事。全ての工程に意味があり大切です。
特に元タレは私たちにとって何より大事です。鯉屋に代々受け継がれてきたベースとなる鯉のエキスや旨味がたっぷり溶け込んだタレで、これに醤油や酒を注ぎ足しながら繰り返し使用致します。これが創業以来、明治から大正、昭和、そして戦時中も絶えることなく現在も続いています。とは言っても調理の鍋が1日5回転もすれば、2日ほどですべてのタレが入れ替わりますので、酸化したタレが残るということはありません。しかし、鯉のエキスがたっぷり溶け込んだ元タレを、何よりも大切にしてきた先代からの味のDNAとでも言うべきものは、確実に今に受け継がれてきたのです。
訪れた危機
みやさかやは、「鯉の宮坂」の愛称で親しまれ、創業から2000年頃までは、鯉の加工品、棒だら煮、からかい煮、イナゴや小魚の佃煮の製造が主流であり、それだけで食べるのには困らない程度に商いが賄えていました。特に昭和中期から後期にかけては、冠婚葬祭の仕出し料理やおもてなしとして、必ずといって良いほど提供されていた「鯉の甘煮」も、平成に入り、時代の流れと共に需要が落ち込み、若い方たちの鯉離れが少しずつ進んでいました。そこに2003年に霞ケ浦で発生した鯉ヘルペスウィルスによる鯉の大量死の影響で、ウィルス自体が人体に何ら影響が無い事が証明されていたにもかかわらず、一般消費者の鯉離れが一気に加速したのです。この年は売上も大幅に落ち込み、まさに岐路に立たされた1年でした。
煮炊きの技を強みに
暗中模索する中、現代表の宮坂宏は、「みやさかや」の強みはこれまで170余年もの間、培ってきた「煮る」「炊く」という工程にあるではないか?と考え、鯉料理のみに縛られずに、山形で育まれた食材を中心に煮炊き惣菜を作るという新たな方向性を打ち出しました。
当初は「鯉屋が何をやっているんだ。」「そんなもの出来っこない。」といった社内の反発から、思うように開発が進まない事や、長年お取引頂いていた既存お客様からも、色物を見る目で見られた事も少なくありませんでした。しかし1つ1つの製品が完成し、実際にお客様にお召し上がり頂く機会が増えると「丁寧に作られていておいしい」といったお声を頂く事が増え、2007年頃からは食品展示会に毎年のように出展し、大きな小売店様から製品に対して高評価を頂き、大きな買い付けを頂く事も増えてまいりました。当然、それまでの過程では、数えきれない程の試作と失敗を繰り返した事は言うまでもありません。しかし、「煮る・炊く」という工程に奥深さを感じ、また美味しいものをお客様へ届けたい、と想う先代からのDNAが新しい事業へと突き進む源泉になっていたのでした。
惣菜「みやさかや」として
2010年後期には、TVや雑誌に弊社の商品が度々取り上げられるようになるなど、少しずつですが、弊社のモノづくりや姿勢が全国に認められる事も増えてまいりました。また、新事業を始めた当初では考えられない程、有名なお取引先様にご指名頂く事も増えました。
弊社では「煮る・炊く」という最も得意な分野を、これまで以上に突き詰めるために数々のオリジナル商品を製造開発し続け、2018年に鯉の宮坂は、煮炊き惣菜「みやさかや」というブランドとして新たに生まれ変わりました。当社はこれからもお客様からのお声に心と耳を傾け、皆様に喜ばれる商品をつくるために、技に磨きを掛けて参ります。
そして、変わりゆく時代の中でも、変わらない食文化を守り続け、一方で伝統から生まれた煮炊きの技を新しい食文化創造に遺憾なく発揮する事で、食を通じてこれからも社会貢献してまいります。